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研究報告要約

調査研究

31-114

目的

長野 真紀

 ハワイに移住した日本人移民を対象に、居住文化・立地環境の異なる地で現在までどのように生活を営み、暮らしを持続・発展させてきたのか、① 建築学_居住空間、②生活学_生活習慣、③生理人類学_身体・適応能の視点から、生活環境への適応過程と移住先の居住空間および自然環境が暮らしに与える影響について明らかにすることを目的とする。文化的・社会的背景の異なる地において形成・継承されてきた日本人の住まい観と、当地の環境に適応した身体的・心理的な適応能について分析し、空間・人・暮らしの関係性について読み解いていく。

(1)ハワイ移民
 ハワイへの移民は明治元年(1868年)から1924年の排日移民法までの56年間におよび、5つの時代区分に分けられる。1)1868~1884年:元年者時代、2)1885~1893年:官約移民時代、3)1894~1899年:私約移民時代、4)1900~1907年:自由移民時代、5)1908~1923年:呼寄移民時代と続き、ハワイへの移住は約20万人にのぼった。このうち約3割はアメリカ本土へ転住し、2割が日本へ帰国したことが記録されており、5割にあたる約10万人がハワイに残留・定住した歴史を持つ。

(2)ドミニカ共和国移民
 1956 年から3年間、日本から 249 家族・1,319 名が移住し、全移民の約1/5にあたる47 家族・276 人が残留・定住した歴史を持つ。ドミニカ共和国では農業開発の目的で日本人移民の受け入れが行われ、移住者は国内8か所の入植地へ入ったが、厳しい環境条件と土地所有権問題により過酷な生活を強いられた。1963 年までに 133 家族が集団帰国し、70 家族がブラジル、パラグアイなど南米に転住する中、47 家族・276 人が残留し、現在まで半世紀をかけて居住環境を築き上げてきた。

 彼らの定住化を支えた要因の一つに、ハワイ社会やドミニカ社会との相互交渉の中で日本人としての生活、行動、文化を強く規定してきた民族的な生活思考や慣習がある。それは、日系人社会においてどのような機能を果たし、表現され、受け継がれてきたのか。また、移住先の社会に定住していく異文化適応過程において生じる心理・生理・社会的ストレスや生活変容の影響が、心理的・身体的な健康にいかにして作用してきたのか。そして、天候・日照時間・温湿度など気候環境の違いにどのような方法で居住空間を対応させてきたのか。日本人移民集落で育まれてきた住文化の継承と現在までの居住環境を辿りながら、出稼ぎによる一時的な居住目的とは異なる、現地に定住することを決意した移民の暮らし方の原理を解明する。異文化圏における居住生活の実態と場所や地域に順応するための暮らし方の原理を探究することは、海外移民が住文化に求めた民族的住まい観と文化的意味の具体相を見出すことにつながると考える。
 現在、国境を越えた人の移動が激増する時代となり、多様な分野で移民研究が行われている。移民研究は学際的かつ実証的な研究を必要とするが、現状は特定の地域に偏った一専門領域からの取組みが多く、新たな知見が立体的に蓄積されにくい状況にあり、領域を横断した研究は少ない。移民者数の多い国や地域では、当時の生活状況や定住していく歴史的過程が一次資料として作成・保存され、現在まで貴重な記録として扱われており、これらの資料を再度読み解きながら、その歴史や生活実態にアプローチする。一方で、居住環境の比較対象とするドミニカ共和国に関する資料は非常に乏しく、その歴史や生活実態は長い間、閉ざされてきた。
 本研究では、①歴史資料の多いハワイと歴史的に敬遠されてきたドミニカ共和国における移民の居住環境を比較対象とすることで、特定の地域に限定しない、国家の枠組みを越えた海外移民研究への発展を促し、研究対象の可能性を広げる。また、②従来のように学問分野別にアプローチするのではなく、建築計画学・生活学・生理人類学の3領域を融合させることにより建築空間・生活行為・生理機能の関係性を読み取り、多角的な方法論を提示できることを示す。さらに、③少子高齢化の流れで移民の受け入れが重要課題となってくることが予想される日本国内において、今後、増え続ける外国人移民の住居計画に本研究の成果を応用させることを目的に、その調査・分析手法を新たに構築することで、社会的課題解決の一旦を担うことができる実践的研究の初期課題として位置づける。

内容

【研究の方向性】
 ハワイに移住した日本人移民を対象に、① 居住空間、②生活習慣、③身体・適応能について調査し、移民の生活環境への適応過程と居住環境の役割および影響について明らかにすることを目的とする。そして、2016~2017年度に移民研究の予備調査として取り組んできた「ドミニカ共和国に移住した日本人」の居住環境を比較対象として進めていく。文化的・社会的背景の異なる地において形成・継承されてきた日本人の住まい観と、当地の環境に適応した身体的・心理的な適応能について分析し、移民の暮らし方の原理を解明する。150年前にハワイに入植した日本からの移民は、約10万人が現地に残留・定住した歴史を持つ。本研究ではハワイ諸島の8つの入植地について、地図分析と地形模型の作成を通して立地環境を明らかにする。その中から特に入植者が多かったオアフ島とハワイ島に対象地を絞り、現地調査(住居実測・聞取り・身体生理指標)と文献調査から、移住先で新しく構築された居住環境とその環境適応過程について明らかにする。また、移民数の多い山口に母村の対象を絞り、当地の移住資料館にて資料収集を進める。現地では具体的生活、住まい、地域の社会構造、生理指標を分析・考察する手法で進めていく。ストレス・健康測定は調査協力を得て現地のハワイ人にも同様に行い、対照実験によって研究結果を検証する。

【実施内容】
(1)移住・移民資料の収集
横浜海外移住資料館にて、ハワイ移民資料の収集を進めた。特に重要資料となる3冊「図説ハワイ日本人史1885-1924/フランクリン王堂/B.P.ビショップ博物館/1985」「ハワイ日本人移民史/ハワイ日本人移民史刊行委員会/布哇日系人連合協会/1964」「布哇寫眞帖 明治43年/田中稠穂/文生書院/1929」を発見し、文献調査をすすめた。
(2)山口現地調査
ハワイへの移民数が多い山口県周防大島を訪れ、現地の日本ハワイ移民資料館にて展示見学および資料調査を行った。また、館長からハワイ研究者の紹介を受け、ハワイ島ヒロに現存する移住当時の住居所在地を確認した。
(3)移民者名簿
外務省外交史料館にて、渡航の記録が確実に残っている官約移民と自由移民(会社扱移民)に対象を絞り、移住先の地名が掲載されている名簿を収集(撮影)した。これは、4)の古地図上にプロットしていくデータとなるが、総計1,376枚にも及ぶため、現在も分類作業を続けている。
(4)ハワイ島古地図
国立国会図書館にて、ハワイ8島の五万分の一の地図を入手した。これは、アメリカ国務省が1910~20年代に測量したもので、自由移民(1900~1907年)や官約・私約移民の定住地とその周辺環境が読み取れる重要な史料である。
(5)ハワイ現地調査① オアフ島
オアフ島のHawaii’s Plantation Villageには1900~1930年代のプランテーション労働者の住居が復元されており、日本を含めた8ヶ国(ハワイ、中国、日本、沖縄、ポルトガル、プエルトリコ、韓国、フィリピン)の住まいを見ることができた。ここでは主に日本人と沖縄人の住居実測を行い、生活の様子や部屋の使い方、当時の生活について聞取り調査をした。また、Bshop Museumアーカイブセンターにて日本人移民の写真を調査し、資料収集(撮影)を進めた。ハワイ日本文化センターでは、移住当時の携帯品やプランテーションでの生活の様子について、展示品の見学や蔵書・資料を収集した。ハワイ州立図書館では、オアフ島のプランテーションで使われていた建物や家族構成を示した資料を閲覧することができた。
(6)ハワイ現地調査② ハワイ島
ハワイ島ヒロの布哇日系人会館は改修工事が継続中で、展示を見ることができなかった。また、当館では建築・生活分野の蔵書がなく、資料収集が思うように進まなかった。Paipaikou Plantation Museumでは展示品の見学と書籍を閲覧・購入し、移民の精神的よりどころとなっていたヒロ大神宮(聖域)を訪問した。現地で出会った協力者と共に、現存する日本人が居住していた住居を訪問し、内部空間と周辺環境を見学することができた。Honokaa、Hamakua、Honomu、Wainakuの旧キャンプ跡地をまわり、住居外観のデザインや規模について写真撮影を行った。また、Kristown浄土寺院に居住している日本人を訪問し、「現在の住まい方」についても聞取り調査を進め、生活の様子を写真で記録した。

方法

 住み慣れた土地を離れ、これまでとは異なる環境下で新しい社会・地域・文化の中で生活を始める際、過去の経験を生かしながらどのように暮らしと向き合ってきたのか、当地での具体的生活と住まい、地域の社会構造、生理指標を分析・考察する手法で進めていく。将来的には、移民の居住環境と生活文化発展のための地域別プランを構築することを目指しており、ハワイ現地での調査手法および分析手法を一つの指針とし、日本に居住する移民の暮らしにも応用・展開できる研究基盤を構築する。異文化圏における居住生活の実態と場所や地域に順応するための暮らし方の原理を探究することは、海外移民が住文化に求めた民族的住まい観と文化的意味の具体相を見出すことにつながり、移住先の社会に定住していく異文化適応過程において生じる身体的・心理的への影響と居住環境の関係性を読み解いていく。下記に示す[1]から[3]の内容について、現地調査・文献調査を展開する。

 [1]住居・生活習慣:日本での生活習慣、入植後の生活、間取り、生活様式、生業
 [2]居住環境:立地環境、空間規模、コミュニティ
 [3]身体・適応能:血圧、唾液ホルモン測定などの生理指標を用いたストレス・健康測定

■ 研究方法1 <住まい・生活史> 研究担当:長野
 横浜JICA海外移住資料館にて収集した移住当時の資料から、生活環境および生活史に関する記録を抜粋し、環境、住居、生活観念の変化についてまとめる。ハワイへの移民が最も多い広島と山口に移民母村の対象を絞り、「民俗資料調査報告書 山口・広島」から当地の年中行事や社会生活について調査する。ハワイ島の布哇日系人会館にて、現在まで継承されている伝統的な生活慣習について聞取りを行い、食文化、地域行事、相互扶助の仕組みなどを明らかにする。また、砂糖キビ産業に従事していた8ケ国の移民が住んでいた住居が移築・復元されているオアフ島の「Hawaii's plantation village」にて住居実測を進め、日本人特有の生活用具や室内空間の特徴を読み取る。さらに、現地の博物館および図書館にて移住当時の住居や生活の様子を記録した写真を収集し、ハワイ島に現存する当時の住居を訪問しながら移民研究の基礎的資料を作成する。ドミニカ共和国の日本人専用住居とハワイのプランテーション住居について、実測した図面から空間特性と生活財を比較し、移住当時の住まいには日本での暮らしがどのように反映されていたのかを分析する。

■ 研究方法2 <居住環境・コミュニティ> 研究担当:長野
 外交史料館所蔵の「官約移民資料」を調査対象に、1885~1886年の官約移民初期における日本人移民の配耕先を分類する。次に、1927~1941年に刊行された「日布時事布哇年鑑」の日本人人名住所録を調査資料として、永住定着時代に入る1920~30年代の10年間の入植地を把握する。官約移民時代の政府が用意した配耕先と、私約・自由移民時代に自分たちで住む場所を選定・定住した入植地の変遷を地図上にプロットし、地形模型を作成しながら土地利用と立地環境について分析する。また、布哇日系人会館にて史料収集を進め、私約・自由移民時代に移住した日系3・4世の現住居と住まいの変遷から、ハワイにおける日本人移民の「住まいの型」を辿っていく。

■ 研究方法3 <健康測定・生理指標> 研究担当:古賀
 異文化適応過程において生じる身体的・心理的への影響と居住環境の関係性を明らかにする。具体的には、近年、ハワイに移住した日本人移民を対象に、血圧、唾液ホルモン測定などの生理指標を用いたストレス・健康測定を実施する。そして、当地の居住空間および自然環境に身体的・心理的機能が適応していく過程、つまり現在までどのように生活を営み、暮らしを持続・発展させてきたのかを考察する。

結論・考察

1<住まい・生活史>/2<居住環境・コミュニティ> 担当:長野
 日本人住居が確認できる最も古い写真は、1890年に撮影されたハワイ島Wainakuの茅葺住居である(Bshop Museum所蔵)。黎明期に移住した元年者が住んでいたと考えられるこの住居は、人々の生活が目に見える形で大きく変わり始めた明治初頭の日本の住まいと比較しても、簡素で原始的な住まいである。その後、官約移民として各地のplantationで労働契約を結んだ人たちには、移住地に住居が用意されていた。オアフ島のHawaii's plantation villageに復元されている8ケ国の移民の住居は、そのデザインや間取りは国別に大きな違いはなかったが、内部空間の使い方に各国の特徴がよく表れていた。住居は居間、台所、寝室(2室)の平屋・田の字型が基本的な構成である。プエルトリコやポルトガル人の住居は1室の規模が大きく、当時、白人が優遇されていたことが住居にも反映されていた。日本人の住居は土足禁止で、入口のデッキ空間で靴を脱ぎ、室内は板の間・床座の生活が展開されていた。居間には日本から持ってきたちゃぶ台や碁盤、仏壇が置かれ、寝室は布団敷きが多く、箪笥やミシン台が設置されている。沖縄の住居もほぼ同じ生活様式が見られたが、住居の周囲にはフクギやソテツなどを植栽し、故郷の生活環境を再現していたことが伺えた。また、日本人だけに造られた「長屋」があり、1軒に2世帯が住むセミデタッチドハウスの標準的な複合住宅として位置づけられていた。ハワイの住居はドミニカ共和国と比較して大きく、室内の回遊性が高い。ドミニカでは居間や作業場が廊下の機能も持つ長方形プランが基本的な構成で、便所や風呂は各住居の敷地内に設置し、世帯ごとの独立性が高い。一方、ハワイは共同の便所や日本人だけの公共浴場があった移住地も多く、住宅と共有施設を使い分けて暮らしていた様子が伺えた。室内環境はハワイの住居が採光・通風を考え計画されているのに対して、ドミニカの住居は防犯対策で小窓の木製ルーバーのため日中でも薄暗く、居住性には大きな違いが見られた。
 ハワイへの移住要件は最大4人(夫婦・子供2人)までで実際には単身者が多く、ドミニカでは働き手が3人以上いることが要件だったため、家族・親戚単位での移住が多かった。そのため、ドミニカでは世帯ごとに生活が独立しており、子供や季節行事を通して地域のコミュニティが維持されていた。一方、ハワイでは移住後に写真花嫁(Picture Bride)や現地ハワイ人と結婚をする割合が多く、移住地で新しい生活基盤を構築し、現地文化に順応していった様子を史料から読み解くことができた。
 労働契約期間が終わると、①各地のプランテーションに残る、②新たに居住地を開拓するために再移住する、③アメリカ本土へ再移住する、④日本へ帰国するという選択肢があった。①のプランテーションに残り新たに建設した住居は、ハワイ島内に非常に多く残存している。Waileaの標準的住居を見ると、寝室(3室)、居間、台所、トイレ・風呂で構成されており、家族が増えるとʻohanaと呼ばれる離れを造って一族で居住していた。日本で使われている尺貫法(1尺=303、3尺=910)は、アメリカで用いられている長さの単位ヤード(1yard=910)と類似しているので、住居建設の際にも大きな支障がなかったことが明らかになった。新しく造る住居は自分たちの体格に合わせて間口・天井高・建具のサイズを決めていたため、素材や設えは現地仕様であるが、日本人の身体感覚が空間に反映されているため非常に快適な住まいとなっている。
 ハワイへの移民は山口・広島出身者が多いが、特定の地域に偏った生活慣習が展開されていたのではなく、年中行事も日本の一般的な季節行事が行われていたことが史料から明らかになった。相互扶助および食文化に関する聞取りは未実施のため、今後の課題とする。また、Plantation Housingの図面を殆ど確認することができなかったので、来年度以降、Sugar Companyに保管されている地図や図面の収集を行い、地域性や住まい方の分類を実施する予定である。外務省外交史料館所蔵の移住者名簿と既往研究(ハワイ日系人の歴史地理/飯田耕二郎)から、当時の移住地を古地図に落とし込む作業は継続し、立地環境を可視化できるよう進めていく。

3<健康測定・生理指標> 担当:古賀
 本研究の申請段階では、異文化適応過程において生じる身体的・心理的への影響と居住環境の関係性を明らかにする予定であった。しかし、研究方法の1<歴史的経緯・生活史>と2<居住環境・コミュニティ>の実施に時間を費やしたため、当初に予定した計画の実施は出来なかった。今後は、近年、ハワイに移住した日本人移民を対象に、血圧、唾液ホルモン測定などの生理指標を用いたストレス・健康測定を実施したい。そして、当地の居住空間および自然環境に身体的・心理的機能が適応していく過程、つまり現在までどのように生活を営み、暮らしを持続・発展させてきたのか、を考察したい。具体的には、ハワイ大学ヒロ校・人類学教室の名誉教授、Daniel Brown博士の協力を得て、移民の心理的ストレスと健康について調査する予定である。Brown博士は長年にわたって、自然・生活環境が急激に変化する移民に高血圧の人が多いことに着目して、日本在住の日本人、ハワイへ移住した日本人の心理的ストレスと健康の比較研究を行ってきた。そして、異文化適応過程において生じる心理・生理・社会的ストレスや生活変容の影響が、心理的・身体的な健康にいかにして作用してきたのかを研究する予定である。

英文要約

研究題目

Living Environment of and Changes in Physical Condition and Lifestyle among Japanese Immigrants while Adapting to a Foreign Culture

申請者(代表研究者)氏名・所属機関及び職名

Maki NAGANO
Kobe Design University, Associate Professor

本文

 This study aims to clarify how Japanese immigrants who have relocated to Hawaii have tried to sustain and cultivate a lifestyle in a place with entirely different living culture/natural surrounding up until now. This shall be done through examining the process by which they seek to adapt to the new living environment as well as the impact of living space and natural environment of their current residence on their lifestyles from the perspective of: 1) architecture (living space); and 2) life science (lifestyle habits).
 The number of Japanese immigrant in Hawaii has amounted to approximately 200,000 people during the 56 years between the first year of Meiji era (1868) and the enactment of the Immigration Act of 1924. While many later relocated to the US homeland or returned to Japan, about half, or 100,000 of these immigrants chose to remain/settle in Hawaii. The study seeks to reveal how these immigrants adapted to their newly established residence and the environment at these settlements through field (actual surveys, interviews) and literature research focused on Oahu and Hawaii islands, on which resided large number of settlers. On Oahu, a survey of actual residence shall be conducted at Hawaii's plantation village, which is a group of relocated/restored housings originally built by immigrants from eight different countries who had come to work in the sugar cane business. The specific lifestyle and living environment of Japanese immigrants in Hawaii during the private/free immigration era (1894 ~ 1907) is to be revealed through historical record on immigrants collected at the Hawaii Japanese Center Hilo that are related to natural surroundings at settlement, architecture, and daily lives.
 Comparing the living conditions of Japanese immigrants in the Dominican Republic with those of other immigrants, this course explores the realities of living in a different culture and the principles of adapting to a place and region.

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